奇跡

2018年も半分をすぎました。この半年何があったかを記録しておこうとおもいます。

 

一文でいうと「イメージしたものがすべて叶った」半年間だった。夢ない子を名乗っているけど、たくさんの夢が叶った。

 

そもそも「夢がない」と言っていたころとは、夢そのものがちがう。この名前を名乗りだした当初はただただお金がほしかった。生きる意味が知りたかった。死にたかった。死ぬこと=夢が叶うことだと思っているときもあった。狂ってやがる。今考えたらふつうに鬱だった。

 

あるきっかけで呪縛(鬱)がとけてから、「死にたい」なんてかけらも考えないようになった。ポジティブに生きられていなくても「死」という言葉は脳に浮かんでこない。鬱だか呪縛だかがなくなって、ようやくそのことに気づいた。約10年間くらい本当にしんどかったなぁ。よく今まで生きてこられたなぁ。

 

叶った夢のなかには「奇跡」としか呼べないものもある。人生において100%あり得ないと思っていたことが、おこってしまった。何の前触れもなく。不要になった大量の服を処分しようとしていたときに。自分ひとりではつかむことができなくて、友達に相談したら「こんなこと二度とないんだからやれ」と言われ。途中で何度も何度もやめてしまいそうになって諦めかけたけど、「何言ってんの早く!」と半分怒鳴られ進んでみた。

 

そうしたら叶った。奇跡がおきた。ひとりではなく、みんなと叶えた夢だった。

 

人間関係も、中学・高校・大学時代にくらべるとずいぶん違う。自己を肯定できるようになってからは、人との距離感を上手に取れるようになったと思う。いわゆる「グループ」での付き合いもできるようになった。こんな年になって、人間関係が壊滅的だった中学時代をやり直している、そんな感じがする。

 

お金へのとらわれもなくなった。去年、一昨年の日記をみると「お金を稼がないと」「お金が手に入るなら死んでもいい」という言葉ばかり。ヤバすぎ。今年はあえて「お金を稼がない」「自分のしたいことをする行きたいとこへ行く」一年にすると決めた。貯金を使い果たしてもかまわないと決めた。

 

結局、貯金は増えているし、自己肯定感も高まってる。行きたいところにも行けて、会いたい人にも会えた。「死」から解放されて、ようやく「生」を感じられるようになった、そんな気がする。

 

元カレのこともどうでもよくなった。好きな人ができたわけじゃないのに、元カレに「好きな人ができた」と言ったその日、翌日に。もう何年か思い出せないくらい付き合って、こんなに愛せる人はもう二度とあらわれないと思ったのに。人間こんなもんだよな。

 

新しい恋愛もはじまりかけ。いやはじまってない。どうなるか分からないけど、できる限りを尽くしたい。整形もしたいけど、良い人間になるための努力をしたい。あの人の人生を肯定したい。応援したい。守りたい。理解者になりたい。恋愛の仕方なんて忘れちまってどうすればいいかわかんないけど。(笑)ゆーたらただのフリーターなわけで。何も持ってないわけで。人間性でしか勝負できないわけで。いや、そこが何より大事か。

 

2018年後半戦は、自分の人生を、価値観を、さらに考えていく半年にする。「自分がどうしたいか」を明確にする。自立する。頑張るんじゃなくて、自分の生きたい道を生く。生きる。

 

健康面はやや諦めがある。自分でコントロールできない面が大きくて、そこは仕方がないとおもう。だからこそ体調がいいときにしたいことを全部しておく。いつ入院して歩けなくなっても後悔しないように。

 

まあ27歳なんですけど、この年になってようやく前を向いて(ポジティブとは言っていない)生きることができた。みんなは中学生くらいで気づけるだろうことが、私は今になって気づいた。きっと、みんなよりも気づくのが遅い人生だ。でも、気づかずに終わったことはない。ぜんぶぜんぶ回収して、苦しんだぶん、みんなよりも何倍もよろこびもうれしさも享受しているとおもう。笑えるけど、まあこんな人生もありかなとおもう。

 

絶妙に明るくて中身がなくて気持ち悪いな。まあでも、せっかくの人生、楽しくいきたい。主体的に考えて、楽しく生きていこうとする人たちと生きたい。そんな感じです。