30歳、絶望

久しぶりにログインしました。まだはてなブログって生きてるんだね。ほとんどの人はnoteに移行しちゃったかな。

 

人生のどん底は中学、高校、25歳以降のうつ期の3回だと思ってるけど、30歳にしてまたやってきてくれました。というかどん底が何回も存在するんじゃなくて、ずっと底みたいな感じな気がする。生まれてこのかた「生きていて幸せ」みたいに心から思えたことがない。むしろずっと「なんで生きてるんだろ」って思ってる。

 

私にとって一番大切にしていたことを、毒親に隠されて、騙されていました。全部嘘でした。小さいころからずっと「おかしいな」と思っていたけど毒親のことを信じていました。毒親が誠実なわけなかった。「離婚してもお前の父だ」と言うわりに、こちらが縁を切ると伝えるとあっさりさようならなんですね。血がつながっていようがそんなもんなんだね。

 

仕事も、住む場所も、生活もなにもかも毒親に縛られて従って生きてきた自分が本当に馬鹿で、愚かで、悔しい。自分の人生なのに。したいことができなくたってだれも責任取ってくれないのに。親の言うことなど聞かなければよかった。成人してからの人生は私のものなのに。洗脳されきってしまっていた。

 

やりたいことがたくさんあった。もう忘れてしまっているけど心からしたいもの、なりたいもの、ほしいものはたくさんあったと思う。でも、ほとんど叶わなかった。もしそれら全部叶えられていたら、私の人生は違っていたのかな。どんな人生だったのかな。

 

歳を重ねるごとに少しずつ楽になっていくような気がしていたけど、そうでもなかった。しんどい。

前に進んでない

おおよそ一年前、私は「前に進もうか」なんて、あまりに抽象的でかっこつけた言葉を残している。今になって思う、「前に進む」ってなにをすること?具体的になにをしようとした?結果なにが変わった?

今ひとついえるのは「前に進んでいない」ということだけ。むなしい。

 

今になって、理想の人生がわかってしまった。

 

たとえば「人々を健康にする」みたいなでっかい夢と目標をもって充実した大学生活をすごし、リクルートのような大手企業もしくは意識高めのベンチャー企業インターン。人脈を作り、各所から「うちへおいでよ」と声をかけられて就職。意識高い人に囲まれて、キラキラした社会生活をすごす。

 

私?

 

親の意向で学費だけは高い底辺私学へ、受検をなんとか頑張って関関同立へ、おそらく人格障害愛着障害をわずらったゆえの生きづらさと死にたみを抱えからっぽの大学生活をすごし、「このまま人生が続いていくんだ」という感覚(生きている感覚ともいう)がないからろくに就職活動をせず、親のツテでなんとか就職するものの事故りまくり衝突しまくり2年で辞職。

 

人間関係が圧倒的にうまくいかず苦しみ、会社というシステムのなかでは到底生きていけないと悟り、一人でできるアフィリエイトの道へ。堕落した人生を送ってきた私に自己管理などうまくできるわけもなく、適当な勉強会に行ってみたり、「どうすれば稼げますか?」と手当たり次第に聞いてみたり、朝から晩までツイッターをながめたり、つまり、ろくに行動もせずおおよそ4年が経った。

 

そして今。気づいたら親の会社の社員になっていた。拒否権ナシ。親を怨めども遅し。でもそれは、私が自分の人生を選ばなかった、よく言いすぎか、諦めてきたことが原因なんだ。親の言うことなんてはねのければいいんだよ。「今はこれがしたいから就職する余裕はない」とか「この会社で働きたいから無理だよ」って。

 

でも、私は前に進んでないから。今の私には何もないから。はねのけられなかった。

 

今の私にとって「前に進む」とは、一人暮らしをすること、親の会社以外に就職をすること、そういったことだと思いますが、去年の私、聞こえていますか。

 

前に進もうか

去年さんざん貯金したから「今年は自由にお金を使う」と決めたものの、やっぱりひまになるもんですね。本気のニートも続けるのはなかなか大変である。

 

近所のカフェで本を読んでみたり、すいている平日にお買い物をしてみたりするものの、やっぱりひまができる。じゃあ何をするか?やっぱり仕事なのかな。

 

と思いながらだらっだらしてて、ふと目に入ったよっぴーさんとZOZOTOWN社長の記事をよんでみた。急激にやる気がでた。(笑)なんでだろう?お金をたくさん稼ぐことに憧れるから?いやちがうな。自分のしたいことで生きたいと思ったからかな。

 

でも働きたくない。「苦じゃない」と思えることしかやりたくない。てかやれない。かといってパッと思いつくビジネスモデルにはなにがある?アフィリエイト、ライター・・・。あまりに少ない。どうやってお金を手に入れるか?のアイデアが少なすぎるから、少し不安になったりするのかな。わたし。

 

jMatsuzakiさんのブログを読んで「ワンコインサービスをつくる」「ビジネスモデルの引き出しを増やす」ことをすべきだと気づいた。アフィリエイト以外でもお金を稼ぐ方法が絶対にある。じぶんの視野を狭めているのはまちがいなくじぶんだ。

 

そしてもう一度、自分がしたいこと、自分が望むものを考えて明確にすべきだ。たぶん私の場合考えるだけじゃだめだ。思考の堂々巡りをする気がする。だから考えて行動しよう。

 

「記事が書きたいのかも」とおもったら、一度でもいいからお金をいただいて記事を書いてみる。「ワードプレスの立ち上げ方を教えたい」とおもったら、教えてみる。そうすれば、したいことなのか、したくないことなのかが分かる。

 

人と比べなくていい。じぶんがじぶんの人生に納得がいって、満足できればそれでいいんです。そのために前に進むと決めました。

奇跡

2018年も半分をすぎました。この半年何があったかを記録しておこうとおもいます。

 

一文でいうと「イメージしたものがすべて叶った」半年間だった。夢ない子を名乗っているけど、たくさんの夢が叶った。

 

そもそも「夢がない」と言っていたころとは、夢そのものがちがう。この名前を名乗りだした当初はただただお金がほしかった。生きる意味が知りたかった。死にたかった。死ぬこと=夢が叶うことだと思っているときもあった。狂ってやがる。今考えたらふつうに鬱だった。

 

あるきっかけで呪縛(鬱)がとけてから、「死にたい」なんてかけらも考えないようになった。ポジティブに生きられていなくても「死」という言葉は脳に浮かんでこない。鬱だか呪縛だかがなくなって、ようやくそのことに気づいた。約10年間くらい本当にしんどかったなぁ。よく今まで生きてこられたなぁ。

 

叶った夢のなかには「奇跡」としか呼べないものもある。人生において100%あり得ないと思っていたことが、おこってしまった。何の前触れもなく。不要になった大量の服を処分しようとしていたときに。自分ひとりではつかむことができなくて、友達に相談したら「こんなこと二度とないんだからやれ」と言われ。途中で何度も何度もやめてしまいそうになって諦めかけたけど、「何言ってんの早く!」と半分怒鳴られ進んでみた。

 

そうしたら叶った。奇跡がおきた。ひとりではなく、みんなと叶えた夢だった。

 

人間関係も、中学・高校・大学時代にくらべるとずいぶん違う。自己を肯定できるようになってからは、人との距離感を上手に取れるようになったと思う。いわゆる「グループ」での付き合いもできるようになった。こんな年になって、人間関係が壊滅的だった中学時代をやり直している、そんな感じがする。

 

お金へのとらわれもなくなった。去年、一昨年の日記をみると「お金を稼がないと」「お金が手に入るなら死んでもいい」という言葉ばかり。ヤバすぎ。今年はあえて「お金を稼がない」「自分のしたいことをする行きたいとこへ行く」一年にすると決めた。貯金を使い果たしてもかまわないと決めた。

 

結局、貯金は増えているし、自己肯定感も高まってる。行きたいところにも行けて、会いたい人にも会えた。「死」から解放されて、ようやく「生」を感じられるようになった、そんな気がする。

 

元カレのこともどうでもよくなった。好きな人ができたわけじゃないのに、元カレに「好きな人ができた」と言ったその日、翌日に。もう何年か思い出せないくらい付き合って、こんなに愛せる人はもう二度とあらわれないと思ったのに。人間こんなもんだよな。

 

新しい恋愛もはじまりかけ。いやはじまってない。どうなるか分からないけど、できる限りを尽くしたい。整形もしたいけど、良い人間になるための努力をしたい。あの人の人生を肯定したい。応援したい。守りたい。理解者になりたい。恋愛の仕方なんて忘れちまってどうすればいいかわかんないけど。(笑)ゆーたらただのフリーターなわけで。何も持ってないわけで。人間性でしか勝負できないわけで。いや、そこが何より大事か。

 

2018年後半戦は、自分の人生を、価値観を、さらに考えていく半年にする。「自分がどうしたいか」を明確にする。自立する。頑張るんじゃなくて、自分の生きたい道を生く。生きる。

 

健康面はやや諦めがある。自分でコントロールできない面が大きくて、そこは仕方がないとおもう。だからこそ体調がいいときにしたいことを全部しておく。いつ入院して歩けなくなっても後悔しないように。

 

まあ27歳なんですけど、この年になってようやく前を向いて(ポジティブとは言っていない)生きることができた。みんなは中学生くらいで気づけるだろうことが、私は今になって気づいた。きっと、みんなよりも気づくのが遅い人生だ。でも、気づかずに終わったことはない。ぜんぶぜんぶ回収して、苦しんだぶん、みんなよりも何倍もよろこびもうれしさも享受しているとおもう。笑えるけど、まあこんな人生もありかなとおもう。

 

絶妙に明るくて中身がなくて気持ち悪いな。まあでも、せっかくの人生、楽しくいきたい。主体的に考えて、楽しく生きていこうとする人たちと生きたい。そんな感じです。

呪縛

2017年が終わろうとしていますね。

 

さいきん知り合いにも聞かれたけど、今年を一言で表すと「底(そこ)」、もしくは「停滞」。本当に何もしなかった。何もしないっていうと「大きなイベントごとがなかった」「大きな変化がなかった」って意味に捉えられそうですが、そういうことではなく。

朝起きて、ご飯たべて、スマホ見て、寝て、ご飯食べて、お風呂入って、寝る。

 

こんな日が何日あっただろう。さいきんツイッターで見たけど「何もないのに涙が出る」とか「お風呂に入る気力もない」のは鬱の初期症状なんですかね?それなら私は鬱だった。ずっと鬱。動かなきゃ、何かしなきゃと思うのに本当に動けないんだよなあ。あれはいったい何だったんだろう。頭の中でだけ色んなものがぐるぐる動いていた。

 

本当に意味のない日々だったとも思うけど、人生でいちばんの底を経験して、気づいたこともあって。私たぶん呪縛が解けた。生まれた瞬間からずっとずっとかかっていた呪縛。いや、数パーセント残っているけど、ほとんど解けたと思う。

 

っていったら、その知り合いも「俺も」って言ったのがウケた。あぁ、せっかく縛りがなくなったのにまた縛られたような気分になった。一難去ってまた一難。

 

何が正しいんだかさっぱりわからないし、歳を重ねるごとに後悔は増えているし、取り返しつかないことも増えていくし、じぶんがじぶんじゃないみたいにぜんぶすっかり変わってしまいたいのにさっぱり変わらないけど、時間だけ過ぎていくんだよな。

でも、今年は、自分の人生のなかでなくてはならない1年だったと言える。何もしてないけど。

 

来年は少しでも変わりますように。

 

 

カフェイン最強伝説。

昼夜逆転と冷凍食品生活があいまって闇期が終わらない。まあいつでもそうなんだけど。

 

そんなときにカフェインをぶっこむ。頭がカッとなって身体がなんとなくふわふわして手が小刻みに震えだして急に目の前のことに集中できる。

 

読んでいる本がむしょうに面白く感じられて「やっぱ私アフィリエイトむいてんじゃね?勉強するの楽しすぎて最強だはこの仕事」ってなる。強い。やめられない。

 

カフェインがないと「記事書くとか無理ゲー本読むとかしんどすぎワロタ興味ねー」ってなる。だからカフェインぶっこむ。依存の始まりですどうもありがとうございました。

ゼロヒャク

「あなたは、ゼロか、ヒャクしかないね」と言われたことがある(たしかそんな感じ、ヒャクではなかったかも)。私にとっていいものは「ヒャク(絶対的に認める)」で、私にとってダメなものは「ゼロ(何もかも許せない)」。

 

「ちょうどいい」がない。「何もかも忘れて本当に楽しくてしょうがない」か、「どうしようもなく不安でしかたがない」か。私はそんな日々を過ごしている。今になって、あのとき言われた言葉を「なるほどな」と思っている。

 

そして、今年に入ってなぜだかどうしようもなく好きになった人がいる。その人の持ちわざの名前は「ゼロヒャク」。私が言われた言葉とあまりにシンクロしていて、さっき震えたところだった。(意味は違うけど)

 

「ゼロヒャクの彼」は、本当に魅力的な人なのに、その輝きを放てないでいる。「どれくらい自分はできるのか」を試そうとレベルの高い場所に自ら身を置いた。すぐに結果が出ないもどかしさに、私たちもやきもきしていて。それと同時に、自分の姿を重ねたりもして。(あんなに技術も魅力もなんにもないけど)

 

今、必要なものはなんだ。

自分が持っているものを、どうやって活かすべきだ。

どこに、どれくらい、力を入れるべきだ。

 

彼が今の状況をどんなふうに受け止めているかは分からないし、今後どんなふうに変わっていくかも分からない。でも、きっとね、やってくれるって信じてる。十何年もかけて積み上げてきたものを数日で変えるなんてきっと難しくて、でも、少しずつ少しずつ変わっていくんじゃないかって、心から期待していて。

 

才能もあって努力もしている彼にはまったく叶わないけど、私には才能はないけど、きっと。少しずつ。ほんの少しずつでいいから、こんな日々よ変われと毎日思いながらパソコンにむかっているのであります。

 

(ゼロヒャクさん頑張れ。超頑張れ。)

何もない

拡散禁止でお願いします。

 

情けないことに、人生で初めて「自分で手に入れたものは何もないのだ」ということを実感しています。こんな年齢で、ようやく。ああ、自分で手にしたのはぼちぼちの学歴くらいかな。

 

お金も、行きたい場所も、欲しいものも、今までは誰かが叶えてくれていた。愚かなことに、それが当たり前になって、ありがたいという気持ちさえも失いかけていた。

 

それらから少し距離を置いてようやく感じた。「自分で手にしたものは何もない」。今になって、親は働いていない、学費も生活費も自分でバイトをしてまかなっていた親友に「お前は何もしなくてもお金がもらえて羨ましい」と恨み半分言われた気持ちが分かるような気がする。

 

でも、私には自分でお金を調達したり、手に入れたいものを作り出す力は皆無で。努力という努力をしたこともなく、何かを生み出したこともなく、のうのうと生きていて。かつての親友は今の私を見て「羨ましい」なんて思わないだろう。堕落した私を見て、むしろ「ざまぁみろ」とさえ思うかもしれない。

 

親を恨みたい。何不自由なくどころか人より何倍も何十倍もいい思いをさせてもらったゆえに私は何もしなくなったし何もできない無能なのだと本当は言いたい。でも、私と同じような境遇の人でまともな人努力している人成功している人もいるから、結局は私自身がクズなだけなんだということを思い知る。しにたい。

 

働きたくないのにお金がほしい。

毎日働いて給料20万程度じゃ許せない。

傲慢でしかない。

 

お金がほしい。

お金が欲しい。

お金が欲しい。

 

自分でこの記事見返すと「あ、こいつ終わってんな」感でしかない。うん、まじで終わってる。人生つんでる。

ロマンス

ここほとんど見られてないと思いますがtwitterでの拡散禁止でお願いします😈

 

今の私はダイエットブームです。ブームというかダイエット狂です。

自分の顔が嫌いだと散々言ってきました。親も友達もみんなが呆れる中、それでも私は自分の顔を許せず生きてきました。そんなある日、どこのだれかも分からない人の「一番の整形はダイエット」というツイートが拡散されてきました。

 

一番の整形はダイエット。なんというパワーワード

 

私はダイエットなどしたこともありません。毎日好きなものを食べて過ごす。最高じゃないですか。もしも健康診断に引っかかるようなら考えるけれども、そこまでダイエットに固執する必要はないと、ずっと思っていた。けれど、ふと、「ダイエットで少しは自分を変えられるかもしれない」と思ったんです。

 

それまでは、自分の顔が嫌で、本当に毎日毎日毎日泣いていた。電車の中だろうが親の前だろうが涙をだらだら流しながらスマホに張り付き、2ちゃんねるの整形板を永遠見ていた。でも、どうしても整形をする気にはなれなくて。何がつっかえてるのかは分からないけど、やっぱり「怖い」が勝つんだろうなとは思う。切開したり脂肪吸引するくらいのお金なら口座にあるよ、さすがのニートでも。それでも、どうしても踏み切れずにいて。

 

ダイエットで少しは何とかなるかもしれない。そう思って、即ジム契約。徹底的な食事管理を始めました。今はそれが楽しい。ダイエットが楽しい。たまに何を食べてもいい日を設けて、揚げ物や小麦食品を食べるのが最高の快感なんす。好きなものを思いのままに思うだけ食べられるってこんなに幸せなのかと、人生で初めて思いました。いや、うそだ、退院したときも思ったな。

 

それで気づいたことがあって。

 

たぶん、本当に本当に本当に本当に欲しくてほしくてほしくてどうしてもほしくてどうしようもないものなら、手に入れようと努力するのだな、私は、と。

 

今は痩せた自分がほしい。痩せたい。痩せたい。今すぐガリガリにガリガリのガリガリくんになりたい。だからお菓子も、小麦も、揚げ物も、何でも我慢できる。大好きなフライドポテトも、クッキーも、スコーンも、お寿司も、アメリカンドッグも、ドーナツも。余裕。もはや我慢とかじゃない。野菜とか豆腐食べてるのが楽しい。苦じゃない。

 

アフィリエイトはどうだ?

いつの間にか苦になって。なんかこれじゃないの連続で。上手く文章が書けなくなって。2000文字書くっていったいどんな修行だよってタイプできなくなって。

 

おそらく、まわりの同業さんはアフィリエイトの先がある気がするんだよな。アフィリエイトでお金を稼いで、そのお金で何がしたいあれがしたいみたいな。海外でこんな事業をしたいとか。こんな団体作りたいですとか。

 

私は?したいこと?喜矢武さんとごはん行けたらいいなとか?秋くんと写真撮れたらいいなとか?うわー。

ほしいもの?まー、YSLのリップとキールズのクリームかな。あとクレドの基礎化粧品。ロクシタンのシアバター。服も買えたらいいよね。うん、全部自分で買える。

 

おそらく、一人暮らしとかしてお金に困らない限り頑張れないんじゃないかと思うんです。実家にいると家賃とかないし、ご飯代とかいらないし、家にお金入れる?…とか言ったら「そんなん要る訳ないやんwww」って逆切れされるし。むしろ生きてるだけでお金増えたりするっていう。ウケる

 

お金に困って、友達とごはんもいけない、ろくに服も買えない、結婚前(相手?しらね)の楽しい時期に旅行もいけない、どうしてもお金を稼がないといけない状態になって、苦しんで苦しんでもがいてもがいて「お金がほしい!!!」ってカッてなれたら、たぶん、死ぬ気でやる。

 

死ぬ気になったら絶対に負けない。負けるとかじゃない、それがどうしてもほしいんだから、何があってもどんな手段を使ってでも(ノー犯罪)手に入れるはずだ、私なら。

だって某ライブのチケット、倍率エグかったけど手元にあるもん。行かない訳ないし。チケット手に入れない訳ないし。本気出せば何だってできる。(ノー転売ノーチケットフリマノー高額イエス定価)

 

本気になれる目標探せ。

輝きに打ちひしがれる

今年は毎月を振り返ろうと思って記事を書いていたのですが、公開寸前だったのですが、そんなことを全てひっくり返すくらいの刺激があったのでそっちを書きます。たくさんの人に見てもらいたいという訳ではないので、トゥイッターでの拡散ご遠慮ください😈

 

そして、感情のまま書いています。絶対おかしいです。ぐちゃぐちゃです。普段はもっとマシな文章を書くと思っているけど…今日は本当にひどいです。意味分からんとこいっぱいあると思います。適当に読み飛ばしてください。

 

大学時代所属していたサークルの、同期3人が出演しているライブに行ってきました。もちろんワンマンじゃなくって何バンドも出るイベント形式だったので、同期バンドの前に出ているバンドの演奏もいくつか見て。うまい人を見つけたらあぁかっこいいなぁと思い、世界観がよくわからなかったり演奏がひどかったりしたらロビーに出たり。ふらふらと楽しんでいました。

そしてトリ、彼らのバンド。見慣れた人たちのライブだったので特に心構えもなくつったっていたのですが。音が鳴った瞬間に、聞きなれた音に(弾き方とか音作りとかってそんなに大きく変わらないから、分かる)懐かしさと、興奮で一気に引き込まれて。

それと、演奏がウマい。圧倒的にウマい。大学時代ももちろん上手だったし、バンドも組ませてもらったことのある人たちだからよく知っていたけれど。(一人は業界ではわりと名が知れてるんじゃないかな)数年ぶりにライブを見て再び実感した、彼らの音楽がもつ輝きがすごい。

 

そしたら、「音楽には勝てない」って言葉が脳にポッて浮かんだ。

 

彼らはこんなに素晴らしい演奏技術を持っていて、人を楽しませることができて、バンドというグループ単位で何かを生み出していて。そして何より楽しそうで。

 

たとえ月にいくら稼いでも、この輝きには絶対に勝てない。自分が向こう側にいたから分かる。あの輝きは、他の何にもかえられないんだって。そしたら、今の自分が、これからの自分が、将来が怖くなって。今ほしいと思っているものは、本当にほしいものではないんだと気づいてしまった。「ほしいと思わせてる」んだと。

 

それから、「私はいったい何をしてきたんだろう?」という問いが頭の中をぐるぐるしだした。

 

大学入学して、初めての合宿はギターパートで登録された。コピーしたバンドのうちの1つは相対性理論だった。曲の始まりから単音引き。Fコードでつまずく、とかそんなレベルじゃない。最初っからソロを弾くようなもので、鬼難しくて、でも合宿までの数か月と合宿の1週間、鬼のように練習をして。弾けた。当日。弾いた。その後、腱鞘炎になってまともに物がもてなくなった。

ギターを弾くことが楽しいと思えなくて、「もうギター弾きません」と言って、完全にボーカルパートへ変わりたいと幹部に伝えた。(といいながらあとあとちょいちょいギタボさせてもらったけど)。

でもその後何年も後悔した、「あのときギターを続けておけばよかった、逃げなければよかった」って。

高校時代、某職業に就きたいという夢があった、その夢も「めんどうだな」なんて思って追いかけることをやめた。

バンドを初めて、本気で音楽をし続けることを考えた。それも「私には才能がないから」といって、考えるのをやめた。

だからって、プロ目指すとかじゃなくって、普通に音楽を続けるっていう道もあるのに。なんでブチッと縁を切るように音楽から離れてしまったんだろう。

 

たくさんのことから逃げて、たくさんのことを「めんどう」と言って逃げ続けて、いったい私は何を持っているだろう。

大切なものを、本当に大切なものを失ってまで得ようとしたものはいったいなんだったんだろう。

 

 

同期がキラキラと輝いている姿を見て絶望をくらうって、どんだけ嫌な人間だよ。嫉妬でも羨望でもない、ただただ絶望。そのとき抱いた感情には、この言葉が一番似合う。

でも、そんな輝き続ける人たちが友達なんだと、すごく誇らしく思った。友達は尊敬できる人だらけだ。みんなキラキラを持ってる。

 

私に輝きはない。私は自信を持って言えるものがない。何かのファンじゃなくて、むこう側に立っていたかったはずなのに、簡単にそれを諦めてめそめそと泣いている虚しい人間。